2021.08.30
東京オリパラ。後世へのレガシーは?
組織改革ファシリテーター 石橋 哲
残暑お見舞い申し上げます。またコロナ禍下ご尽力賜わる医療関係の皆様に心からの感謝を申し上げます。 この文章は開会式直後の2021年7月下旬に書いています。皆様にご覧いただく頃には東京オリパラの喧騒も収束しつつある頃でしょうか?様々な困難のなかの大会運営にたくさんの関係者のご尽力、出場選手の活躍には敬意です。当初、東日本大震災等からの復興を世界に示す「復興五輪」を謳い、「未来へのレガシーを」と叫ばれましたが、開催を巡って様々な議論がありました。その後コロナ禍拡大を背景に2020年に延期、緊急事態宣言下での開催となりました。コロナ禍は日々新しい様相を見せ、ワクチン接種が始まった春には速やかな展開が期待されましたが、報道によればロジスティクスに起因する形で、接種加速化は先になるようです。聖火リレーは制約空間でのトーチキス等に代わり、無観客化も多用されました。度重なる辞任解任劇など今大会は様々な意味で異例を重ねました。 6月下旬、公益社団法人日本工学アカデミー主催の「場」で、「当事者研究」の熊谷晋一郎先生、綾屋沙月先生のお話をお聞きしました。熊谷先生からは、ソーシャルディスタンスを強要するコロナ禍下、それを考慮する必要がなかったかつての「健常性」は「健常」でなくなり、人類はあまねく「障害」を抱えることに至ったと指摘する論考のご紹介、綾屋先生からは、コロナ前に「健常」とされた社会の言語構成は「マイノリティ」を排除する反作用として「マジョリティ」に再帰するニュアンスを伴うこと等の鋭いご指摘を勉強しました。ちょうど熊谷先生と國分功一郎先生の共著「<責任>の生成-中動態と当事者研究」を拝読しており、洞察の深さに感動しました。 同じころ東大TV「高校生と大学生のための金曜特別講座」で國分先生のお話を拝聴しました。示唆に富む講義ですので、みなさんもぜひご覧ください。イタリアの哲学者アガンベンがコロナ禍下における「移動の自由」の制限について世に投じた議論を巡り、國分先生と一緒に、哲学することの面白さ、大切さを体感するジェットコースターのような時間。國分先生が「ソクラテスは豪快だった」と語るシーンに着目しました。罪裁判で死刑判決を受け、涙する弟子たちと魂の不滅について議論して、平然と毒ニンジンを飲むソクラテス。「ソクラテスの弁明」「パイドン」等を読んでも「豪快」の文字はなかなか浮かびません。私たちは客体としての事象と自分とを切り離そうします。このシーンを読む國分先生はまさに「場」に臨み、体感し、ソクラテスの脇で深く省察する。だから「豪快」なんだ!熊谷先生・國分先生の洞察は「場」の中に臨む当事者のものと思い至りました。 私たちはいま東京オリパラ後の世界を当事者として生きています。後世に世界に何を残すのか。深く省察してまいりたいと思います。
石橋 哲
東大法卒。邦銀・米銀を経て、03年産業再生機構参画(マネージングディレクター)。
以降組織変革支援。07年日本郵政顧問、08年内閣府政策企画調査官、11 年国会事故調(原発事故調査委)調査統括補佐、等歴任。19年4月から東京理科大大学院技術経営(MOT)専攻教授(https://most.tus.ac.jp/teacher/ishibashi_satoshi/)。
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